ご挨拶

政治を希望へ ─ふたたび都政にチャレンジ
 「声をあげれば、政治は必ず変えられる」を実感した4年間でした。

困難な状況を都民とともに切り開き、政治を希望に変えたいです。
誰もが人間らしく生きる権利を実現する力は、一人ひとりのなかにあります。声を上げづらい社会だけど、変えることは必ずできます。私はその力を勇気づけ、社会を変える原動力の一つになりたいです。

まずは給付制奨学金制度の実現へ。
そのためにはともに声をあげるみなさんの力が必要です。

略歴

米倉 春奈

人間をたいせつにする政治にしたい。

食べることが大好きな29歳。

1988年2月9日 宮崎県えびの市生まれ
中央大学総合政策学部卒業
趣味:星を見ること、ピアノ
好きな食べ物:そらまめ
休日の過ごし方:山に行く

ご挨拶

政治を希望へ ─ふたたび都政にチャレンジ
「声をあげれば、政治は必ず変えられる」を実感した4年間でした。

困難な状況を都民とともに切り開き、政治を希望に変えたいです。
誰もが人間らしく生きる権利を実現する力は、一人ひとりのなかにあります。声を上げづらい社会だけど、変えることは必ずできます。私はその力を勇気づけ、社会を変える原動力の一つになりたいです。

まずは給付制奨学金制度の実現へ。
そのためにはともに声をあげるみなさんの力が必要です。

子どものころ

名前の由来は「早春賦」

2人姉妹の長女、早春の2月生まれです。母は、自身の名前「千春」から「春」の一文字をとろうと決めていたものの、もう一字をどうしようか悩んでいた時に、テレビから早春賦の歌が。それでピン!ときたそうです。「はる~は、な~のみ~の♪」から「春奈」に決まりました。
自然豊かな宮崎育ち。

夜はムササビの運動会!

故郷は、豚肉や牛肉が名産の宮崎県えびの市です。田畑と自然に囲まれて育ちました。昔住んでいた家では屋根裏にムササビがいて、夜になると家の軒先からぴゅうっと飛んで「運動会」が始まるほど。父方も母方も実家は農家で、遊びに行くと食べきれないほどの野菜をもらいました。東京で、小さなオクラが150円で売られているのを見た時は、カルチャーショックでしたね。

中学時代

カンボジア訪問で貧困の現実を体験

カンボジアの教育支援をする、父のNPO活動に同行して、学校に文房具を届けに行きました。プノンペンでは、ゴミ収集場内のがれきの山の脇にある掘っ立て小屋のような学校を訪問しました。お金になるものを集めて売って暮らしている子どもが2、30人いて、ボランティアの支援で勉強を習っていました。
そこで、出会った6歳くらいの女の子は「勉強が楽しい。先生になりたい」と話してくれました。私はショックを受けました。その子が、高校、大学へと進学していけるのだろうか。夢があっても、努力しても、自分の力ではどうにもできない社会は、悲しいと思いました。
そして、世界の貧困や格差をなくしたい、この思いで大学へ進学しました。



大学時代

社会について学ぼうと民青に加入

大学の入学式の後に、たまたま民青同盟の勧誘を受けたんです。当時(今もですが)、どの新聞をみても「消費税は上げるしかない」と書いていて、「本当にそうなのかなあ」と、ずっと思っていました。ほかに財源はないのか、どの新聞にも書いていないのです。民青の先輩とは、そのことも話しになり、その時の先輩の話をきいて、すっきりしたし、すごく面白かった。ここに入れば、いろんな人に出会えると思って民青に加盟しました。

青年大集会で、世の中の見方が変わった

大学1年の5月、首都圏青年ユニオンや全労連青年部、民青などが開催した青年大集会に参加して、世の中の見方がガラガラと変わりました。それまでは、派遣切りや非正規雇用の増加に対して、「努力が足りないんじゃないか」「考えが甘いからでは?」という思いもありました。でも、不当解雇や違法労働に対して立ち上がった人の話を聞いたり、貧困や母子家庭など困難な状況に置かれた人たちは、頑張りたくてもそもそも同じスタートラインに立てないんだという話を聞いて、見方が根本から変わった。こうした体験が、共産党への入党にもつながったと思います。



社会を変えていきたい

民青の勉強は面白かったけれど、学生生活がものすごく忙しくて、民青を辞めようと思った時期もあるんです。でも、その時に「日本でも貧困が広がっている。日本や世界の一人一人が安心して暮らせるためにがんばる人が増えないといけないし、それをやっているのが共産党だ」と呼びかけられて、ハッとしました。それで入党を決めました。
大学卒業後は「社会を変えていきたい」と思い、共産党の専従職員になる道を選びました。



就活問題で、国を動かした!

私たちの学年が就職活動をしていた頃は内定率がものすごく低くて、何十社受けても内定がもらえず、引きこもりになった友人もいました。黙っていられず、就活生たちの生の声を集めて、厚生労働省や文部科学省に届けました。それを国会議員が国会で追及してくれて、政府が企業と大学の代表者と意見交換する協議会を設置させることができました。「市民の声を突きつければ政治は変わる」と実感した貴重な経験になりました。



被災地への思い

学生とともに被災地ボランティアへ一一東日本大震災

東日本大震災後、学生たちと被災地ボランティアに取り組みました。地震後のゴールデンウィークには岩手県の陸前高田市へ。家族写真を大切にしているお父さんのお宅を訪問し、津波で汚れたたくさんのアルバムをきれいにして、とても喜んでいただきました。
被災地の人々との交流を通じて、被災者に冷たい政治を転換する必要性をますます感じます。東京でも、大地震の対策に力を入れなければと思っています。
地震から一人でも多くの人のいのちを守るには、住宅の耐震化が必須。都の住宅耐震化の予算を拡充させるために頑張ります!



春奈の夢

若い人たちの声を集めたい

地元・豊島区で、若い人たちの運動体を作っていきたい。集団的自衛権の行使容認が閣議決定され、日本が戦争できる国への動きがますます強まる中で、若者からは不安や反対の声があがっています。それを核にしながら、若者たちの思いを集めていきたいです。勉強会をしたり、ご飯を一緒に食べながら、少しずつ仲間を増やしているところです。
主人公は私たち国民です。立ち上がる人を増やすことがとても大事だと思っています。是非、あなたの声も聞かせてください!



政治を希望に

みなさんの声で 都政が動きはじめました!

「声をあげれば、政治は必ず変えられる」を実感した4年間でした。
もともとはプレッシャーに弱いタイプ。質問前は「議会に都民の声を届ける大切な機会」という責任に押し潰されそうになり、泣きながら質問準備をしたこともありました。初質問の巣鴨・駒込地域の特定整備路線に関する質問前は、緊張で頭が真っ白になりました。委員会室に入る直前に住民の方々から聞き取りした録音を聴き、「この怒りと不安の声を必ず議会に届ける!」とやる気がみなぎりました。
困難な状況を都民とともに切り開き、必ず政治を希望に変えられると思って、都政に向き合ってきました。誰もが人間らしく生きる権利を実現する力は、一人ひとりのなかにあります。声を上げづらい社会だけど、変えることは必ずできます。私はその力を勇気づけ、社会を変える原動力の一つになりたいです。
まずは給付制奨学金制度の実現へ。そのためにはともに声をあげるみなさんの力が必要です。